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『江戸散歩』2015年2月7日。東京都水道歴史館

江戸散歩。
順天堂大学裏にある『東京都水道歴史館』では江戸の『水道』の歴史についてじっくりとお勉強をさせて頂きました。かなりテンションが上がっていたようで、帰宅してもしばらくは水道歴史館で学んだ事ばかり考えていました。歴史好きの方は是非訪れてみてくださいませ。→ http://www.suidorekishi.jp/about.html 
天正18年(1590)。徳川家康が入府したさい、家臣大久保藤五郎に水道の見立てを命じ「小石川上水」が作られたと伝えられています。 江戸の発展に応じて、井の頭池や善福寺池・妙正寺池等の湧水を水源とする「神田上水」が完成したのは寛永6(1629)年頃とされています。
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江戸の水道井戸:
昔は井戸を掘り湧水をを使用していた。しかし、江戸は少し違っていました。海に面した江戸の町ですが、その海を埋め立てた土地が多く、井戸を掘ると塩分が含まれていて飲料水としては使えない。

そこで整備されたのが川から水を取り入れた『上水』。遠く離れたっ水源から木の樋『木樋(もくひ)』で土中に作られた水道管で江戸の隅々まで流れてきた水を井戸に溜めていたのです。
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庄右衛門、清右衛門の玉川兄弟。

多摩川の水を江戸に引き入れる壮大な計画を立てた幕府からの資金をもって大工事に着手した庄右衛門、清右衛門の兄弟。しかし、その工事は難航を極め、2度失敗。3度目は屋敷を売り私財を投じて着手。またこの時は川越藩・藩主松平信綱につかえていた安松金右衛門による計画の見直しと言う協力もあり、わずか7ヵ月と言う短期間で完成させたそうですその功績によって『玉川』姓を与えられたのを始めとして、永年玉川上水役を拝命し200石分扶持となる。
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なるほど。。井戸端会議はここが発祥なのですね。
井戸端会議に花を咲かす。女性達が集まりお喋りしている様をこう表現しますが、その語源がここに。。
江戸の町人の多くは長屋に住まい、その長屋には共同で使用する井戸が設けられていた。共同井戸に女性が集まり、水くみやお洗濯などをしながら世間話や噂話をしているさまをからかって言った言葉が『井戸端会議』。今ではスーパーマーケット?カフェ?もう”井戸端”はなくとも、場所を変え現在も『井戸端会議』と言う表現は使われていますし、今でも日々様々な場所でその会議は開かれておりまする。
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「馬水槽」
上が馬用、下にあるのが犬や猫用、この裏に人間用と3箇所に共用栓。
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蛇口「蛇体鉄柱式共用栓」の語源
この写真は明治時代末頃から大正時代頃まで使われていた共用栓。水の出口が龍を型どっている事から「蛇体鉄柱式共用栓」と呼ばれ、その事から後に水道を『蛇口』とよぶようになったそうです。
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by lucykent824 | 2015-02-08 03:05 | 江戸散歩