日本人初の海外レコーディングはなんとラップだった。。と言うお話
ご存知の方も多いとは思いますが、そのうちのお一人をご紹介します。
今年7月、世田谷美術館で開催されていた「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展 印象派を魅了した日本の美」へ訪れたことをここFacebookでもご紹介しましたが、その展覧会ではモネの『ラ・ジャポネーズ』をはじめ多くの画家が北斎や広重に影響を受けている作品の数々をこの目で確かめて来ました。日本文化のブームは1900年パリで開催された博覧会がきっかけ。そんな日本文化が熱く取り上げられたパリ博ではこんなアーティストもいたのであります!
川上音二郎。
「波乱万丈」とはこの方の人生を学べばその意味が分かると言うほどです。彼の人生のほんの一部を短くしてみますと。。福岡出身。家を飛び出し大阪へ、無銭飲食をしながら江戸へ、様々なところに転がり込むも長続きせず転々としているうちに福澤諭吉と出会い、慶應義塾に学び、巡査になったり総選挙に出馬し政治に関わるなどなど、やはり転々と。。長続きしないとの事。
その後、川上座を開場。なんと!サンフランシスコ、シカゴ、ボストン、ニューヨークなどアメリカで公演。そして、パリ博でも公演を行い、それが話題となりイギリスのグラモフォン・レコードで日本人として初めてレコーディング。そのパリ博でパフォーマンスしたのが「オッペケペー節」。Youtubeで調べてみるとあったのです。川上音二郎の声ではないのだそうですが、それでもこの遠くから聞こえて来るようなその音に感動。そしてなんとこれは「ラップ」ではありませんか!
なんて個性的♪ その物語を読んでいくと、様々な職を転々と「長続きしない」と言う表現をされており、その部分だけを読むとまるでダメ男君に聞こえてしまいそうですが、そうではなくて、彼のようなユニークな方はここ日本では理解してもらえなかったのでしょう。出る杭は打たれてしまう。そう感じました。世界に飛び出してやっと受け入れてもらえたのでしょうね。フランスでは大統領から外国人に贈られる最高章を授章している川上音二郎さん。また2冊見つけてしまいました。週末はいざ!ブックストアへ。。でございます。
川上氏には子供はなく(奥様も女優)、妹のお子さんを可愛がり米公演にも子役として連れて行くのですが、お金を持ち逃げされてしまい、経済的に厳しくなり、パサデナ在住の裕福な日本人画家の養女に。その姪っ子はのちに(1910年代)ハリウッド映画に出演したり、自分の名前を冠した映画が作られるなど、海外で人気を博した日本人スター女優の青木鶴子。
とんだハプニングから海外での暮らしをする事になり、子供にとってはどれだけ不安だった事でしょう。しかし、その海外での生活が叔父の川上氏と同じく、個性を伸ばしてくれたのかもしれませんね。
小さい子供達の発想や絵には大人がビックリするようなヒントがいっぱい。私達は皆そうだったはず。そのまま大人になってしまっては問題ではありますが、それぞれの個性は大切にして欲しいものです。
それでは、日本最古のレコーディングをお楽しみ下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=8TuMWzJd6RM
by lucykent824 | 2014-10-31 18:29